恵那墓

@entk_fu

オタクの書く文が好き/実際に文を書いてみて、という話

初めまして。おそらく初めましてではないけど初めまして。えなたかです。文脈があり、ブログを開設しました。この記事ではそれについて経緯をちょっとだけ詳細に語っていきたいと思います。

 

オタクの書く文章が僕は好きです。

正確に言うと、オタクの″好き″が真っ直ぐに伝わってくるものが好きです。

 
手のひらの上に、熱を保持した、柔らかいゲル状のもの─スライムや泥のような─が有る状態を想像してみてください。それを便宜的に″好き″という概念を可視化したものだとします。

″好き″とは流動的なもので、少し目を離せば指の隙間から零れ落ち始めます。それを回避するためにオタクは自らの手でそれを固めて形を整えていく必要があり、その過程で投げナイフやダーツのように鋭利で攻撃的なモノに変換することが、即ちオタク的文章の執筆である*1と僕は考えています。その″好き″を誰かに投げた時に、深くに刺さるように。深く刺さった後、誰かの内奥で熱が放出されるように。フルメタル・パニックの登場兵器である対戦車ダガーの知識があると想像に容易いと思います。

 
オタクの文章を読んだ時の、自分の″好き″の形を練り、研いで造り上げた鋭い刃のようなものが胸に刺さり熱が拡散していく感覚がメチャクチャに好きです。
好きなので僕もやりたい、″これになりたい″と思うようになり、そのようにしました。

その契機について少し語ります。

 

 ・″これになりたい″との出会い

 

きっかけは去年の冬コミ。へちょさん(@hetyo525 )に出会ったことから物事が進み始めました。

 

僕が仲良くさせて頂いているフォロー/フォロワー関係のオタクが「これになりたい」という名前のサークルで売り子の手伝いをしているのでよければ来てくれ、と言われ向かうことに。
前述のへちょさんはそこのサークル主で、自身の作ったイラスト集と声オタポエムを頒布していました。僕はそれを購入し、パラパラと捲って中を確認して、…目を見開きました。

 

「これ……異世界スマホのブログの人だ!!!!!!!!!」

 

思わず叫びました。冬の国際展示場、オタクの絶叫大反響。

 

hetyo525.hateblo.jp

こちらが前述のイセスマのブログです。読んでください。

ある日のこと。僕はリツイートで回ってきたこのブログ記事を読んで震えました。武者震いです。あるいはオタ震いか。
単純な内容紹介に留まらず、″作品を見る上での視点の可変性、また俯瞰視点の重要さ″を初めとした、尖りに尖ったアプローチを、豊富な語彙を用いて詳細かつ適切に説明する…。そんな最早暴力と言っても過言ではない13000文字の超絶オタク的語り文章。僕はそれに作品を観る上での視点の在り方に多大な影響と感銘を受けていました。


なので僕は、その筆者が目の前にいるなんて…!と感動し、ベラベラと″オタクの長文がすち!!!!″みたいな話やらイセスマやらの話を、サークル裏に居座ってオタク特有の早口で喋りまくってしまいました。完全に初対面なのに失礼すぎる。(その節はマジで申し訳ありませんでした…。)「僕もなんですよねw」と共感を頂いて嬉しかったです。

 

そこからフツフツと、僕の中でもそうした″オタク的長文語り″をやっていきたいという思いが発生してきました。まさに″これになりたい″状態です。

 

・文字で他人を動かす、ということ

オタク語りをやっていくぞ~~という意思が芽生えたまま、いやでもなに書けばええんかな~~なんて言いつつ何もしていませんでした。しかしある日投稿されたへちょさんの新規のブログ記事がまた僕の執筆意欲に決定的に火をつけました。

 

hetyo525.hateblo.jp

こちらの記事です。読め
僕はこの記事をオタク語りにおけるバイブルとして崇めているので、文章を全部網羅できるように印刷してそれを部屋の壁に貼っています。それ程にここには有が詰まっています。チェケラ。


その中でも特に僕は「自分が書いた文章で他人の価値観を歪める快感はすごい」という主張に着目しました。はい、僕は完全に歪められた側です。言ってしまえば僕は打ち負かされた訳です。

その日から僕の中では「オタク的語り」をすることに加えて「書いた文で人の価値観に影響を与えてみたい」という目標が発生しました。

そして浮かんだトピックは、「オタク語り語り」であり、勢いにまかせてこの文を書き始めました───。

 

・実際に書いてみて

 

本来この辺までの文章は二月末とかその辺りで概ね書き上げていて、バーチャルユーチューバーの記事の前に公開する予定でした。優先順位を考えるのは僕の頭には難しく、新規のトピックに飛びついてそのまま放置していました。熱量の維持とは…?

とはいえその結果、この記事に「実際にオタク語りをやってみて」という話題を加えられることが可能になったのでまたそれについて語っていきます。

これらはVtuberの記事を執筆、公開した後の僕のツイート群です。

 

 

 

僕のTwitterアカウントをミュートせず見ている人はこういった旨のツイートを乱発していたことは記憶に新しいと思います。ちょっと書いて褒められたからって調子に乗ってんなあのオタクと言われ石を投げられそうですね。この記事でまとめて終わりにするので許してください。

Vtuberの記事に面白いと好意的な感想をくれた方々ありがとうございます。あまり褒められ慣れていないもので少し困惑すら覚えています。文才なんて言われた時には「新しい池沼の隠語か…?」と訝しみ、″文才″とグーグル検索しました。過度な謙遜は失礼に当たるので気を付けろ@Entk_fu。

オタク的語りを一つ終え公開した、という達成感も気持ちのいいものでしたが、自分の文を他人に読んでもらい、面白いと言ってもらえること、加えてそれを軸に新たに思考して貰い、感想として返ってきたこと、という体験は本当に凄いもので、あの瞬間の脳内麻薬の放出具合は非合法的快感と言ってもおかしくないものでした。今流行の修飾語をつけて表現するとしたらバーチャル麻薬ですね。

 

Vtuberの記事に対しての感想を例として、オタク語りをして良かった点を挙げていきます。

まずは「自分の意見で魅力が伝えられた」ことです。文字にしてみれば何ら変哲のないものかもしれませんが僕はその良さをオタク語りをして再認識しました。

 

Vtuber生活捧げオタクに「これなんだよな~~~」と感想を貰い、自分の意見が概ね正しいと肯定してもらえたことも嬉しかったですが、Vtuberに関して何も知らない、少しの知識はある、くらいの人間に「今までVtuberに関して何も知らなかったけど、この記事を読んで面白さがわかった」といった旨の感想を頂いたのは何よりも気持ちのいいものでしたね。中には「わからないなりの見解だけど」という前置きで自分のVtuberに関する考察を伝えてきた人なんかもいて、あーやってよかったなあ、オタク語り、、、と思わず零してしまいました。

 

また読んでもらった上で否定的な見解を示してくれたのも良い体験でした。自分の見識が広がっていく感覚はそもそも好きなので。例を挙げると、Vtuberの記事では「文章は面白かった。私が二次元に求めているのは干渉ではなく、あくまで俯瞰だから合うコンテンツではなさそうだと改めて思った」という感想をFFのオタクに投げてもらい、なるほどと納得しました。

 

・最後に

とにかく″好き″を前面に出したオタク語りは読むのも書くのも読んでもらうのもいい体験ができる、ということを主張します。熱中できるものがあるなら、とりあえずその熱を留まらせるだけでなく、それを鋭く尖らせたような文を書いて他のオタクに投げてみませんか?

 

また誰かのオタク語りを読んで面白いと思ったら空中リプライで軽く、程度でも良いので感想を投げていくのが推奨されます。それは確実に次の記事へのモチベーションの糧になり得るものですし、何より人を気持ちよくさせられます。これも一種の価値観への干渉と言えますね。

 

当ブログはこんな感じで感想やら突発的語りやらを不定期で更新していきます。暇だったら読んでくれると嬉しいです。よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

*1:二次創作なんかもそんな感じだと考えてます