恵那墓

@entk_fu

日記/7月15日 オタクは推しの魅力を言語化しておけ、という学び

ある日のことだ。文脈は省略するが、僕はオタク複数人でインド料理屋に行き、カレーを食べていた。当然その場ではオタク語りが繰り広げられていた。オタクが集まるとオタクトークが発生するのは自然の摂理と言えよう。サメ映画。ポケモン映画。…そしてVtuber。数多のトピックが移り変わり、その度に会話はそれぞれ色や花弁の形が異なった花を咲かせた。僕も知らない世界の一端に触れられて面白かったしとても有意義な会合であったと思う。(その節はお疲れさまでした。)

 

しかし、僕はここで己の浅薄さを認識させられたのだ。

 

詳細に事を説明しよう。会話の一環でVtuberを語り合う際に『Vtuberに全く触れてこなかった人に、自分が最も応援しているVtuberの魅力をアピールする』という流れが発生した。僕のフォロワーのオタクが、キズナアイさんや電脳少女シロちゃんについての魅力を語る、語る、語る。かなりの熱量を持って、かつ知識を持たない人にもわかりやすく。実際にその人も「そら惚れるわ…」と頷く程であった。僕もだ。聴きながらに「オタクの語りとはかくあるべきだ」と形容しても過言ではないと感じた。

 

──ここにおいて特筆すべきなのは、ここまで語ったオタクは皆『個人的体験』を基に、それを発展させる形で魅力を語っていたことである。

 

例えばあるオタクは電脳少女シロちゃんを語る際に「お豆腐*1が増えても、一人残らず大事にする」といった旨の、そのオタク宛のリプライを見せた上で、「こういう風にファンを大事にするところが良いんすよ…」と言った。

 

このような『個人的体験』を軸にして人に語ることの利点は、単純な説得力の増加、語りに独自性を持たせられることなどがあるが、何より聞き手に語り手への『移入』が発生しやすくなることである。そしてその『移入』は『共感』へと変化するのだ。何かを話しかけるにあたり聞き手の『共感』が理解に即してプラスに作用することは言うまでもないだろう。実際にそれを聞いていたオタク達は全員「ああ、そんなことされたら応援したくなるわ…」と感心していた。

ただ単に推しの客観的な情報を投げつけるよりも、「語り手のフィルターとしての主観」を聞き手に想像させることを挟んだ上で情報を提示したほうが、『共感』によってその処理が容易になり、結果的に深い理解を得させる確率が高まるのは明白であろう…と今になって考えた。

 

閑話休題

そして僕が語る番がやってきた。最推しVtuberはミライアカリさん。彼女を好きになった経緯はあの記事でも触れたように「アカリがついてる」のリプを貰ったことなのはフォロワー諸氏はおわかりだろう。さて、僕が如何に語ったかと言うと────

 

「え、えっとぉ~wそのっwなんつうか可愛くて、えっちで、その、リプくれたんすよ~w(ここで例のリプライを見せる)あーーーダメだw深く語れねえんですよ…w以上っすw」

 

…おいえなたか。

世の中のオタクを良いオタクと悪いオタクに二分するとしたら、お前は間違いなくカスオタクだ。

 

読者の中に、読書感想文を書いたことがある人はいるだろうか?大半はあると答えるだろう。では読書感想文を書くにあたり「あらすじを書いて文字数を稼ぐな」と親や先生から怒られを受けた人はいるだろうか?…これも何人かはいるはずだ。

かくいう僕も何度かこのように怒られた。昔の僕はそれに対して「うっせwとりま書いたんだからええやろw」などとヘラヘラしていたが、こうしてTwitterやらブログやらで何かを発信するようになってからはその怒られがどれ程正しく有用であるかを思い知った次第である。

何故かと言うと、あらすじの紹介も「見た目が可愛い」といった表層的な部分の紹介も、基本的に誰にでも出来てしまうからなのだ。また受け手もわざわざ聞くまでもなく、主体的に触れようとすれば即座にわかってしまうからでもある。

前述の『個人的体験と移入』『独自性』ともそれなりに関係がある話だ。

 

僕の語りはそれ…いや、最早あらすじにすらなってないな…。

 

このような事態も全て事前に『推しの魅力を言語化する』というオタクとして当然のアクションをしていれば回避できたことである。それを怠った僕は浅いのだ。自分も推しに対しても。

オタクの活動の根底には基本的に「作品や推しのさらなる活躍」を願う気持ちがあると言えるだろう。それを達成する手段の一つとして知名度の向上があり、例えば「布教」という形で現れる。「布教」そのものはいくらでも機会は作れるが今回は別だ。何故なら聞き手が”聞き手”であり、”聴き手”であったからだ。聞き手側に予め布教を受け入れる体制ができているケースはそうそう無い。よってこれはかなりの恵まれた機会であり…

 

…つまり、何が起きるかはわからないのだ。職場の年老いた清掃員がいきなり「声優に興味があるんやが、ぽまえの推しは?w」と話しかけてきてもおかしくはない。何故なら絵描いてるおじさんが美少女の身体を受肉してエッチな絵を描かれる程に2018年は魔境なので…。重要なのは、いつなにが起きても最善の対処をして自分の領域へと引き込めるように然るべき準備をしておくことである。それが「推しの魅力の言語化」であり、僕が怠ったことである。

 

これを読んだオタクの皆さんも、いつ推しの魅力の語りを要求されても良いように今一度推しと向き合い直し、その魅力を言語化してみてはいかがだろうか。僕みたいにならないように……。

 

 

ミライアカリさんの魅力の言語化はそのうちします。したい。おそらく。多分……。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:電脳少女シロちゃんのファンの通称